国際奉仕 中国高校生作文 2009

中国高校生作文

日本、中国、両国の青少年研究所の主催による北京市を除く中国全土の高校生による「日本語作文コンクール」が実施されています。
当クラブも国際奉仕委員会の協力を得て、その催し物に参加する事により、日中青少年の交流を深めるべく、東京上野ロータリークラブ賞を設け、協賛させて頂いております。1999年5月以降、中国に渡り候補者の学生達に面接して東京上野ロータリークラブ賞を決定し、賞状と記念品を贈呈しております。

2009年度受賞作品

「私の町の環境問題」

学校名:湖北省・武漢外国語学校
学年:高2
氏名:裘 雪穎

 中国には農歴の8月15日が中秋節です。中秋節の時、ゲッペイを食べるのは従来からある習慣です。今度の中秋節には、父は友達や同僚からいろいろなゲッペイの詰め合わせをいただきました。ゲッペイは美味しかったけれど、私はひとつのことに気が付きました。
 ゲッペイを食べ終えたあと、リビングルームに箱がいくつか残っています。それらの箱は華やかで、きれいです。しかし、ゲッペイを入れるのに設計されたので、再び利用することはありません。でも、捨ててしまうのはもったいないような気がします。
 確かに美味しいゲッペイを華やかな箱に入れると、とてもきれいです。贈り物として友達に送る時に、友達はきっと喜びます。そこで、人々は贈り物のゲッペイを選ぶ時に、ばら売りのものはいかに美味しくても買いません。高級ホテルの作ったものはそんなにおいしくなくてもかえって人気があります。たぶん、ゲッペイは美味しいかどうかはあまり重視されず、メンツのために箱がきれいかどうかが一番重要だと見られています。
 ゲッペイばかりではありません。お酒なども同じ問題があります。大きな箱の中にシルクの布が飾られていますが、実際のお酒は少ししかありません。お酒を除き、ほかのものはすべてゴミになってしまいます。
 これらの現象を“過剰包装”と言います。経済の発展とともに、“過剰包装”はどこでも見られるようになりました。特に私が住んでいる武漢市では、ゴミ箱にはきれいだけど実用的でない容器がよく捨てられています。ボール紙、発泡スチロール、装飾品などはもともとゴミではありません。ほかのものと同じようにたくさんの資源、エネルギーを費やして作ったものです。中国は人口が多く、資源が少ないです。高速経済発展を続けていくためにはきっと大量の資源が必要です。“過剰包装”して、資源の無駄遣いをすれば、これはひどい環境問題につながります。
 いろいろな環境問題が起こったために、最近は“リサイクル”という言葉がはやってきました。武漢市では、現在“全国文明都市”になるために様々な方面で努力しています。街の古いゴミ箱をもうすぐ新しいものに変えます。ゴミはリサイクルできるものとできないものをきっちり区別します。そうすれば、不要な箱や発泡スチロールもリサイクルできるようになります。
 やっと社会の中に“リサイクルの道”が始まったのはありがたいことです。しかし、最初から不要なものを生産しなければもっといいと思います。夏休みに、私は日本へ修学旅行に行きました。日本には食べ物の詰め合わせやお酒などはみんな質素で簡単な箱に包みます。ですから、すべての製品はゴミになるものが大変少ないです。それに、このような簡単な包装、容器でも再び利用できます。ふつうのスーパーで買った牛乳を飲んだあと、私は牛乳ボックスにいくつかの図があることに気づきました。その図は再利用する方法を示しています。その図に沿って折れば、牛乳ボックスは小さな箱になります。ボタンなど小さいものが入ります。そうすれば、本来捨てられるしかないボックスも利用できます。
 リサイクルの最終目的は資源の再利用です。製品になる可能性があるゴミを探して、もう一度利用すれば、資源の無駄遣いも減少できます。人々はよく“ゴミも宝だ”と言います。しかし、初めからゴミになるものを作らないで、すべてのものを利用し続けられればもっと環境にいいことでしょう。人々がそれを意識するなら、人口八百万人もいる武漢市はきっと毎年たくさんの資源やエネルギーを節約できます。
 では、まず“過剰包装”をやめましょう。“プレゼントは華やかなほうがいい”という考えを捨てましょう。環境問題はいかに大きな問題だとしても、小さいことから始めるしかありません。資源やエネルギーを無駄遣いしないで、すべての物を最大限に利用できれば、きっと武漢はもっときれいな都市になるでしょう。

「成長の旅」

学校名:山東省・済南外国語学校
学年:高2
氏名:雲 青

 日本語に出会ったのは、四年前の夏でした。
 太陽の眩しい光に当たってあつい日々が続いていた夏休みが終わって、私の小学時代も終わりました。でも、中学生になった興奮と不安よりもっと不思議なのは、日本語を習い始めるということです。もともと日本語を勉強するつもりではありませんでしたから、学校の計画で日本語を選ばなければならないことになったのは、行ったことのない神秘の国へ行くようでした。見たことも聞いたこともないし、心の準備はまったくありません。「どうしよう」と迷った末、12歳の私は「やってみよう」と思い、勉強して来ました。今ここで日本語で長い文章を書いていることに気付き、とても不思議な気持ちになります。
 「あ、い、う、え、お」から少しずつ勉強を始め、一年生の時、先生が「アフレコ」大会を行いました。私はアニメが大好きなので、とても喜んで準備しました。しかし、アニメのセリフはその時の私にとってとても難しいものです。それでも自分で聞き取りながら書き出さなければなりません。毎晩遅くまで努力して、やっと聞き終わった私は、いつかアニメの下の字幕を見ないで日本語のアニメが見られるようになりたいと思うようになりました。大会ではあまりいい順位が取れませんでしたが、この夢は私の力となり、初めて積極的に日本語を勉強するようになりました。
 大会が終わった後、一年も教えていただいた日本人の先生が日本に帰ることになりました。送別会で、先生に自分の進歩を認めていただいて、そして先生は私たちに、
 「努力をあきらめない」
と一言教えてくださいました。この一言が、何より私の励みになりました。今思えば、言葉や文法を勉強したり、漫画や小説を読んだりしてきて、気付かないうちに、日本語がだんだん好きになり、もうすぐ17歳になる私は、まるで友達のような日本語といっしょに成長したような感じがします。
 一つの言葉は一つの国の文化からできたものだと思います。日本語の勉強を通じて、私は日本のことを理解できるチャンスが増え、言葉の勉強をすると同時に、日本のことにも関心を持つようになりました。
 私は読書が好きで、日本の村上春樹の作品をたくさん読みました。「羊をめぐる冒険」という本が大好きで、日本語のオリジナルをインターネットでさがしてみました。すると、村上先生の自伝の翻訳を社会で募集していることを偶然に見て、「自分も参加できないだろうか」と思いました。自分はまだ子供で、大人の作品を翻訳するのは無理ですが、自分の能力を試してみることができるし、村上春樹の作品をもっと深く理解できますから、やってみたくなりました。参加者は10ページのオリジナルを翻訳して、ファックスで送ればいいと書いてあります。しかし、言うのは簡単ですが、実際にやったらいろいろな問題が出ました。翻訳の角度によって作品の風格が変わってきます。ですから、自分の考えの上で、作者を深く理解できなければ、いい翻訳ができません。つまり、作品の微妙なバランスを取るため、言葉の把握能力がとても大切だということです。いろいろと考えながら、資料を調べたり、ほかの翻訳者の翻訳法を学んだりしてやり始めました。何度も書き直して、とても疲れたけれど、ファックスで自分の翻訳を送った瞬間、心がたのしさでいっぱいになりました。そして、自分が橋のように思いました。外国語の勉強で二つの言葉と二つの国をつなげることができて、このような取組は本当に大切なことだと深く認識しました。
 翻訳を送った2週間後、賞品として本を2冊もらいました。小さいプレゼントですが、日本語を勉強しながら、好きな作家の作品を翻訳することができて、いい勉強になりました。この経験が一生のプレゼントだと思って、大切にしていきたいです。
 高校に入学してから、私と友達は日本語クラブを立ち上げました。みんなでいっしょに楽しみながら日本語を勉強しています。みんなはもう一度「アフレコ」大会を行いたいと言っています。私は「千と千尋の神隠し」のアフレコをしようと思い、セリフを聞き取る時、四年前のことを思い出しました。その時セリフに困らされた私は、もうだいたい聞き取ることが楽になりました。その時心に埋めた夢の種は、「努力をあきらめない」という一言のとおりに、もう小さな芽が出て、いつかはきっときれいな花が咲くでしょう。その花が咲く日がくるのは、日本語のオリジナル小説や漫画が読めることだけでなく、もっと大事なことができる時でしょう。自分が言葉の交流で、遠く離れているみんなを近くする使者になりたいと思っています。日本語の勉強を通じて、世界がより身近になっていることをいっそう強く感じました。私が学んだのは、日本語そのものだけでなく、日本語の勉強の旅でもあり、自分の成長の旅でもあります。その旅がどんなに長くてつらくても、努力し、あきらめないで、一生懸命進んで行きたいと思います。

「日本語を勉強して学んだこと」

学校名:河南省・洛陽外国語学校
学年:高2
氏名:周 正

 中学校一年生から始めた日本語の勉強はもう四年がたちました。その四年間の間に、日本語が全然分からなかった私はだんだん日本語で作文が作れるようになったし、日本人と簡単な会話ができるようになりました。本当にうれしいです。四年間の日本語の勉強を通して、私は日本の文化や社会を了解して、多くの考えを学びました。それらはこれからの日本語の勉強にもきっとよく役立つことだろうと思います。
 日本語の勉強の初めに、私たちは「初めまして、どうぞよろしく」とか「おはよう」とか「こんにちは」のような自己紹介やあいさつの時に使う言葉を勉強しました。そして、「お邪魔します」とか「失礼します」など他人を訪ねる時に使う言葉を勉強しました。中学校三年生の時には敬語も習いました。そして日本のテレビドラマや実際の日本人との付き合いから、日本人は普段からマナーを大切にしているのを了解しました。日本人と比べて、中国人はちょっと不注意だと思います。実は昔の中国にも日本のような正しい礼儀があったし、複雑な言い方がありました。でも近代以来、中国人はだんだんそれを忘れて、あまり使わなくなりました。私は今、食事の前に絶対に「いただきます」と言わないし、家に帰った時、「ただいま」もあまり言いません。私は日本人のように礼儀を大切にしたほうがいいだろうと思います。なぜなら、どんなことでも、敬意を持つことが大切だからです。中国は世界に尊敬をもらうために、日本のように伝統文化を守って、礼儀を正しくするのが大切です。北京オリンピックの大成功は北京人民とボランティアが敬意を持って、マナーを正しくして、世界各地からの友人にサービスした結果じゃないでしょうか。
 日本人のマナーは確かに正しいですが、中国人にとってちょっとおかしいと感じるところもあります。例えば、日本人はよく家族でも「ありがとう」と言うそうです。中国人がそうしたら、たぶん家庭の特別な親切感がなくなってしまうと考えるでしょう。これは中日の文化や心理が違うからだと思います。
 私はよく「礼儀を大切にしない時、私たちはどうすればよろしいだろうか。どんな方法を利用して、みなさんに礼儀を伝えることができるのか。」と考えています。教科書には「ある日本人は小さい頃、いつも「行ってきます」や「ただいま」などを言うのを忘れたから、よくお母さんにしかられました。そこで、家を出る時、「行ってきます」と言って、帰った時、「ただいま」と言うのがだんだん習慣になりました。」という内容があります。そのことを読んだら、礼儀正しい人には、小さい頃から、礼儀を習うのが必要なことで、そのほか、家庭教育もとても重要だと思います。人間は年齢が小さければ小さいほど、勉強やまねる能力が強いそうです。それで、幼稚園や小学校で子供たちにマナーを教えたほうがいいだろうと思います。そうしたら、子供たちはマナーが正しい人になることができるし、中国の特有な伝統文化と礼儀もよく守られることができます。それは「一石二鳥」と言えるでしょう。中国の学校はその方面で欧米と日本の学校に向かって習うべきだと思います。
 礼儀以外、日本語を勉強している間に、私は日本の茶道や相撲などの伝統文化を了解しました。日本は経済が発達したと同時に、伝統文化をよく守っている国だということに驚きました。それと比べて、中国の多くの伝統文化は日常生活ではほとんど見えません。たぶんある人は伝統のものが時代からずれていて、守る必要がないと思っているでしょう。伝統のものは守る必要があるかどうか、私は考え込んでいました。
 中国の文化は周囲の地方に影響を与えましたが、今は中国では見ることのない多くの伝統文化が東南アジア、日本、韓国で見ることができます。ある時、中国の歴史と文化を研究するために、外国の守られた資料を利用しなくてはならないかもしれません。そんな状況が続いたら、中国は文化貧乏な国になってしまうでしょう。将来、中国の若者は普通の生活の中で中国の歴史と伝統文化が了解できなくなるのでしょうか。
 中国は日本と一衣帯水の隣国で、歴史を見ると両国はよく交流しました。それで、両国の文化は同じところもあるし、違うところもあります。伝統文化を大切にするのは日本の長所です。着物やお祭りや浮世絵などのものは日本人民の努力を通して、もう世界によく知られている日本の代表的な風物になりました。中国は世界に認識されて、認められるように、伝統文化を守って、マナーを持つことが大切なことです。歴史の進みとか国の進歩にとって、伝統は必要なものです。つまり、過去がなければ未来がないということです。そこで、中国人としての自覚を持って、私たちの祖国のすぐれた伝統的な文化を守るように努力したいと思います。
 日本語を勉強して、本当に多くのことを学びました。礼儀についての理解と考えはその中の一部分です。私は日本語を勉強したのをきっかけに、日本人の生活や文化などを了解しました。中国文化と日本文化との対比を通して、多くの考えを学びました。その理解と考えはもっと私に日本語への興味を湧かせました。言語の橋を利用して、もっと多くの外国について知りたいです。それは自分の人生を豊かにする方法だと思います。

「わたしの夢」

学校名:遼寧省・瀋陽市朝鮮族第一中学
学年:高1
氏名:林 田泉

 「夢はいつも、空高くあるから、届かなくて……」これは「未来へ」という歌の一部です。誰にでも夢があります。でも、その夢を叶えることができるかどうか、実現することができるかどうかは、その夢のためにどれぐらい努力をするかにかかっていると思います。
 昔、ある所にとてもきれいな魔法使いがいました。いろいろな魔法を使うことができる、とてもすごい人でした。ある日、魔法使いはある男性に出会いました。そしてその人と恋をして結婚しました。彼女は大好きな人と美しい生活をするために、一生懸命働いて幸せな家庭を作りました。まもなくその家に新しい命が生まれました。生まれた赤ちゃんを見守るために、魔法使いは赤ちゃんの言葉を理解できる魔法や、赤ちゃんの口に合うミルクを作ることができる魔法などを使いました。また、赤ちゃんを立派な人にするために文字を簡単に習える魔法や、早く算術の規律を捜せる魔法なども使いました。
 年月の流れは水のようでした。20年後、魔法使いの子供は立派な大人になりました。そしてきれいな女性と結婚しました。自分の子供がりっぱな人になったのを見て魔法使いはとても幸せでした。でも彼女は知っていました。このまま子供達のために魔法を使えばいつかきっと魔法が使えなくなることを。知っていながら魔法使いはまた子供のためにたくさんの魔法を使いました。春には新しい希望の種を植えて、夏には太陽の光をやわらげる魔法を使いました。秋には新鮮な野菜や果物を作ることができる魔法を使いました。そして冬には暖かいセーターを作ることができる魔法を使いました。
 1年後、魔法使いの息子の家にまた新しい命が生まれました。魔法使いに孫ができました。彼女は昔と同じように孫のためにもいろいろな魔法を使いました。1年、2年、5年、10年が経ちました。孫も立派な少女になりました。でも彼女はだんだん年をとって、以前の魔法を使うことができなくなりました。でも魔法使いは全然失望しませんでした。それは魔法で子供達を立派に育てたからです。それは魔法使いにとって何よりも大切なことでした。新しい希望が子供達にあるからです。
 この立派な魔法使いはわたしのおばあさんです。
 わたしの夢はおばあさんみたいな人になることです。いつも自分のことより家族のために自分のすべてを犠牲にすることができる人になりたいです。
 夢を話すことは簡単ですが、実際に行動に移すのはなかなか難しいことです。この15年間、わたしはいつもおばあさんと両親にお世話になってばかりいました。わたしはもう15歳です。これから夢を実現するために頑張りたいと思います。でもわたしは今高校生ですから、まずできることからしようと思います。
 先週の休みの日、わたしはおばあさんを手伝いに畑に行きました。ちょうどトウモロコシの収穫時期でした。おばあさんはトウモロコシを取る方法を教えてくれました。おばあさんが簡単に取ったトウモロコシをわたしは力を入れてやっと一本取りました。もう一本を取ろうとした時、そのトウモロコシの上についていた虫に驚いてわたしは「あっ」と大声を出しました。おばあさんはわたしが大声を出した理由を聞いて笑いながら「一匹の虫にそんなに驚く必要があるの。」こう言ってその虫が付いているトウモロコシを取ってくれました。でもわたしはやはり虫が怖くて虫が付いているトウモロコシには手を出すことができませんでした。いくつかのトウモロコシを取って腰も手も痛くなりました。しかし、おばあさんは平気でした。おばあさんは毎日こんな仕事をしているから慣れているのでしょう。おばあさんは「疲れたらちょっと休んでもいいよ。」とわたしに言いました。わたしはおばあさんを手伝ってあげたかったのに、恥ずかしくてたまりませんでした。それでわたしは自分でできる「仕事」を見つけてすることにしました。それは大根を切ることでした。大根を細く切ることははじめはとてもおもしろかったです。午後、わたしはすべての大根を切りました。自慢しようとした時、突然手がちくちくしました。大根の汁がわたしの手に染みたからだとおばあさんが言いました。ちょっと手は痛くなりましたが、少しだけでもおばあさんの役に立ったと思うとうれしくなりました。そしてもっとうれしかったのはわたしの夢に一歩進んだ感じがしたからです。
 「ほら足元を見てごらん。これがあなたの進む道、ほら前を見てごらん。あれがあなたの未来。未来に向かってゆっくりと歩いていこう。」
 kiroroが歌ったこの歌の歌詞のように、これからわたしは自分の夢を実現するためにゆっくりでも確実に頑張りたいです。

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